個人情報保護のため削除部分あり紀元三世紀、ローマ帝国は混迷の時代を迎える。この間、光首政は崩壊し、帝国の政治体制は専制君主政へ帰結する。先行研究は、この帝国変容を元老院議員の排除、騎士身分の登用をもっての皇帝権力絶対化の過程とみなしてきた。本稿では、かかる騎士身分の興隆に決定的な影響を与えたとされる「ガリエヌス勅令」の実態を解明することを出発点とし、議論は進められる。考察の結果、「ガリエヌス勅令」なるものは、実は、存在しなかったこと、さらに騎士身分の興隆の発端となった時期は、ガリエヌス帝期ではなく、それに先立つウァレリアヌス帝期であったことが明らかになった。騎士身分の興隆とは、皇帝政権による元老院抑圧政策の結果ではなく、ウァレリアヌス帝によって採られた帝国分治体制の結果、必然的に生じた皇帝の都ローマからの離隔に起因するものであった。ウァレリアヌス帝の治世は、ディオクレティアヌス帝期まで続く「軍人騎士身分の時代」の端緒として新たに位置づけられるのである。When the Augustan Empire was in the crisis during the third century, it was transformed into the absolute monarchy of the Dominatus as a result of the decrease of senate's power and the rise of equestrian order. Most recent studies considered the process as the implementation of the deliberate policy of the successiv...